スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

パソコンの使い方にも転機

年が明け、インキュイットでの会社
設立準備の作業も、あと残るところ、
3ヶ月になったところで、今度は、
別の問題が発生していました。

正月明けのある朝、左腰の下辺りに、
痛みというか、つっぱり感が出ました。

運動不足からくる腰痛と、思ったので、
その後は、パソコンで座り作業をする
時間を短めに切り上げたり、歩いたり
したのですが、やはり、数日経っても
治りません。

治らないどころか、だんだん、その
突っ張ったような痛みが、左の太ももの
裏から、膝裏の方まで、拡大して降りて
きました。

日に日に、痛みが強く、広がってくる
ので、針の先生に見てもらいました。

多分、坐骨神経痛だろうということで、
週に2回、インキュイットに行く前に、
針に通うことになりました。

ひと月以上、頑張って通いましたが、
それでも痛みは解消せず、痛み自体も
強くなってきたような気がしたので、
大きな病院に行って、レントゲンを
撮って診断してもらいました。

単なる坐骨神経痛ではない可能性が
あるので、MRI画像を撮って調べる
ということになりました。

その結果、椎間板ヘルニアだという
ことが分かりました。

椎間板ヘルニアは、大学の先輩が、
苦しんでいたのを知っていたので、
大変なことになってしまったと、
大きなショックを受けました。

先生から、これからは、激しい運動は
控えるようになどと注意を頂いて
いる間、悲しみに沈んでしまいました。

元々、運動やスポーツ、体を動かす
ことが好きでしたので、このような
腰の重い病気になってしまうことは、
大げさに言えば、生きる楽しみを
奪ってしまうからでした。

インキュイットを去る準備も残って
いましたし、仕事も仕上げなければ
ならない、けれども、足が痛くて
引きずるようにしか動けないという
極めて苦しい状況になりました。

その年には、インフルエンザにも
かかってしまい、高熱と、関節の
節々の痛みで、うなされました。

しかし、インフルエンザで苦しんで
いる間、少しの間ですが、激しい、
ヘルニアからくる坐骨神経の痛みが、
しばらく収まることがありました。

気が付いたのは、インフルエンザの
薬の一つとして、痛み止めを服用して
いたのですが、それが、おそらく、
効いていたのだと言うことです。

ヘルニアの宣告を受けてから、1ヶ月
痛みに耐えながら、仕事をするために
痛み止めを飲んでごまかしつつ、暗い
気持ちで毎日を過ごしていました。

このまま、今のような、座り仕事の
仕事を続けると、体がボロボロになる。

これは、仕事に出来そうにない・・

会社設立の準備をしながらも、この
会社で一生、仕事をすることは体が
きっと持たない・・。

そうした葛藤の中で、会社を設立する
作業を進めていました。

もう一つ、大変だったのが、祖母の
介護に伴う、家庭の状況でした。

恐ろしく元気だった祖母が、骨折後、
自活出来ないので、家にきましたが、
軽い、うつのような状態で、寝て
ばかりでした。

そうした祖母の介護などは、今後どう
するのか見通しが立たず、このままの
状況を放置する訳にはいかないと、
思い出していました。

父は自分の仕事中心で30年来たので、
家庭を振り返るということは、期待が
持てない。父を家庭で支えてきた母も、
祖母の世話が入ってからは、さらに、
大変そうに見え、過労気味でした。
今後の見通しも立ちそうにない状況
なのでした。

実は、そうした、家庭の状況の変化も
私にはストレスの一因となっていて、
腰痛が少しずつ、ひどくなっていき、
椎間板ヘルニアになったのも、その
ようなストレスも、原因の一つでした。

ですから、

インキュイットを出て、半年間は、
ヘルニアを治療しながら、会社設立と、
家庭の介護問題の解決、今後の見通しに
ついて、筋道をつけるために力を注ぐと
決意したのでした。

幸い、ヘルニアは、腕の良い整体の
先生に、診て頂けることになり、
この程度なら、大丈夫、きっと前の
ように運動も出来るようになる、と
励ましの言葉を頂いて、うっすらと
希望の光も見えたのでした。

このように、椎間板ヘルニアになると
いう事件の後、また、新たな転機が
訪れようとしていました。

そして、新たな、パソコンの使い方を
経験することになっていくのでした。


スポンサーサイト

ITで起業するのを支援する施設に入る

さて、山あり谷ありのではありましたが、
何とか無事に大学での、ソフトウエアー
開発の仕事を終えることが出来ました。

大学で開発したこのソフトを、今後販売
していくことは、担当の会社が決まって
いました。

しかし、プログラムの改良や、手直し
などを引き続きどのようにするかに
ついては、未定でした。

研究者は一時的に、中国、韓国の大学
から呼んでいて、また、日本の各企業
からは、一時的に出向、という形で
集まってきた研究員でしたので、ずっと
そのままの体制で、大学において、引き
続きソフトを開発するというのは無理でした。

そこで、大学発のベンチャー企業を
つくって、その会社で開発を引き継ぐと
いうことになりました。

ただ、いきなり、その春に会社を
立ち上げ、仕事をするというのは、
人材を集めることが出来ず、場所の
確保も難しいものがありました。

ちょうど、その時は、企業ブームで、
国も、1円で株式会社が出来る制度を
つくったり、府や県も、補助金を出し
バックアップしていました。

そうした流れの中で、大阪府が、
ITベンチャー起業を応援、促進する
という名目で、旧税務署の建物の一部を
改装し、ITベンチャー起業を目指す人に
部屋を与えて、便宜を与えるという
企画に出会いました。

応募と、審査があり、選ばれた人は、
部屋を与えられて、1年間の期限付きで
起業を目指すのです。

その企画に、応募して、運良く
審査に合格することが出来ました。

応募は、4名ほどの連名でしたが、
皆、継続する前職がありましたので、
事実上、毎日、その施設に通える
のは私だけでした。

新大阪駅の一つ、向こう、西中島
南方にある施設で、建物自体は、
古いものでしたが、当時はぜいたく
だった、光ファイバーも、各部屋に
来ていて、使い放題でした。

多くの人が、個人起業家で、大部屋を
パーティションで区切った机を一つ
与えられていましたが、私たちは、
3つほど机がおける部屋でした。
インキュイットの部屋(その1)
(西日で逆光!)

北と西に大きな窓があり、夏でも、
涼しい快適な部屋でした。
インキュイットの部屋(その2)


入居の日に、鍵を渡されて入った部屋
には、机と椅子が一つ置かれていました。

ここに、インターネットが使えるよう、
各自で、ルーターやモデム、パソコン等
運び込むのです。新しい環境です。

会社でもなく、大学でもなく、
起業家の卵、という形で入居でした。
名刺もありません。

ここで、1年間ですが、好きなように、
仕事を進めること、ということでした。

元々、4年前に、事情があって、
会社を辞めた後、事務員として
大学に来たわけです。

最初の話では、事務の仕事自体は、
そう、ハードでもないので、その間に
自分の仕事を立ち上げようと考えて
いました。環境としては、4年ほど
前にさかのぼった状態に、近いもの
がありました。

早速、ソフトやら、パソコンやら、
まあ、起業の準備作業に必要だと思わ
れるものを一人で運び込みました。

今後、この施設(インキュイット)で、
会社の起こし方、設立資金、税金対策、
会計、その他も学ぶことになるのでした。

他の部屋には、どういう人達がいるの
だろう、というのは関心がありました。
IT起業家を目指す人々とはいかに・・。

今後は、この施設(インキュイット:
incubationという、卵の孵化を意味する
英単語に、ITを組み合わせて、
incueit、つまり、インキュイット)
での生活や学んだことについて、また、
書いてみようかと思います。

計算結果をグラフィックで表示する

自分の作業時間もとれるようになり、
少しずつではありますが、プログラムの
内容を理解し、また、検証し、修正する
作業が出来るようになっていきました。

基本は独習で、時々、研究員のスキルを
見ながら、取り入れたりしました。

韓国や中国の研究員だったので、日本人
よりもかえって、色々聞きやすい面もあり
ました。英語で話すのが大変でしたが。

あまり、基本的なことも、さすがに、学生
さんではないし、聞けないなあ、という
感じでしたが、それでも、操作を見て、
中国語や、韓国語の基本単語を混ぜて
聞いたりして、ついでに、外国の言葉も
覚えていきました。

C言語で、プログラムを書いて、パソコンに
計算させると、結果が出ます。

その計算結果は、テキストファイルに、
数字が羅列されるのですが、とても、
その数字だけから、結果を考えるのは
無理でしたので、数字の結果を、視覚化
する必要がありました。

それで、計算結果の3D表示について
入門書を読んで学んでみました。
コンピューターグラフィックスの本

コンピューターグラフィックスが出来る
ソフトも買って、自分で書いてみました。
Shade Personal4

これが、詳しい解説書です。このShade
というソフトは、コンピューターグラフィックス
をつくるソフトで、工業用ではありません!
Shade参考書
でも、試しに使ってみました。

例えば、これは、単結晶というものから、
つくる、高温でも破損しない、プロペラの
モデルなのですが、Shadeを使って、
3次元で書くことが出来ました。
単結晶のモデル

このプロペラは、高温に耐えるので、
ガスタービンや、ジェット機のエンジンの
プロペラに使う予定のものです。
金属光沢まで、なかなかリアルです。

このようなモデルを、メッシュという、
網で沢山の立方体に分割して、
その立方体の各面について、計算を
行うと、結果が出ます。

下は、自動車等の金属部品の型に
金属を流し込むとどうなるか、計算し
結果を3次元で、視覚化したものです。

計算結果3次元表示


なお、計算結果は、時間と共に変化
するのですが、その変化を、パラパラ
漫画のように画面に表示させると
アニメーションになります。ちなみに
これは、ホームページビルダーでも
出来ます。

この技術を習得することで、ようやく
プログラムを書き(C言語)、モデルを
つくり(3次元で)、計算をさせ(先日
紹介した、VisualStudioなどの統合
ソフトを使う)、また、結果をアニメー
ションで表示させるという一連の
作業が出来るようになりました。

初めて見たとき、すごいなあと
感心したことが、自分でも出来る
ようになると、不思議な気分です。

パソコン普及のためにノートPCを追加で買う

社内の若手の能力が、パソコンが足りないため
十分に発揮されていないと感じておりましたが、
意見書を出して、検討してもらうには、来年の
春か、稟議(りんぎ)発案といって、急きょ、
補正予算を組んでもらう意外にありませんでした。

それまで待てないなあと、思っていました。

製造している、特殊な繊維は、日夜、フル稼働で
生産しても追いつかないので、我々、技術部の
若手は、休日などいつとれるのか分からない居
状態で、ずっとマシンについているのです。

そのような状態で、パソコンが空くのを待って
いるなど、何て効率の悪い仕事の仕方だと、
多少、頭にもきていたのです。

設備投資だけでなく、人にも投資しないと、
働く人が気の毒ですから。

私も、今までパソコンを使った成果などで、
部内や、社内から、ある程度評価が高まり、
小グループのリーダーになっていましたので
個人的に、システムの部署の方に、現状を
相談してみました。

ワープロソフトなどは、貸し出せますが、
やはり、ノートパソコンの購入は、部署ごとに
予算を組んで頂きたいとのことでした。

他所の部署ですし、無理も言えません。

私は、その前のボーナスの時に、マシンの
製造行程安定化などで、ボーナスを弾んで
頂いていたので、そのお金を、グループの
若手のノートパソコンの資金にしようと決め
ました。後で、元はとれると思ったのです。

それで、

善は急げとばかり、先日購入した私と
同じノートPCを2台も追加購入してしまい
ました。そして、エプソンのバブルジェット
プリンターやデジカメも、会社の若手用に
買って会社に持って行きました。

ASUS MOA Linux

全部で、60万円にはなりました。独身の特権ですね。
(後で、OSをWindows95からLinuxという、フリーの
 ものに変更しています。その、いきさつは後日)

話が、パソコンの活用方法から、ずれてきました。

この話の結末は、会社に私用のパソコンは
持ち込めないという、会社側のもっともな決定で
私の構想は、崩れることになりました。

それでも、この事件は、私とパソコンの関係を
より深いものにしていくきっかけになりました。

なぜなら、ほどなく、私は、会社を退社することに
なるのですが、最後は、部内全員にノートパソコン
支給を実現するという願いを達成出来たのです。










プロフィール

hiropon2006

Author:hiropon2006
FC2ブログへようこそ!

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。